雨は止んでも、また降ってくる

アラサー既婚・子なし女の雑記

老いってずるいなあ

 今の私の実家には父と祖母、一匹のワンコが住んでいる。母は11年前に自殺で亡くなった。祖父は昨年末に亡くなった。父も還暦を迎え、つまり実家は高齢者だけの世帯。

   私は小さい頃から父も祖母も嫌いだった。私が家族で好きなのは優しい母と兄だけ。父は普段は寡黙なのに短気で怒りだすときは大きな声で私を怒鳴る。車に父と2人で乗っていたとき、父は私をよく無視した。たぶん幼い私の話の相手をするのが面倒だったのだと思う。

 

   私の両親は共働きだったので、日中は同居の祖母に育てられた。私の一番小さな時の記憶は、おしっこを漏らしてしまったときに頬を思いっきり抓られさらに頭を打たれて怒鳴られたこと。暴力についての一番新しい記憶は高校生のとき。何があったのか詳しくは覚えていないけど、私は祖母に「私はおばあちゃんが嫌いだから」と言った。そしたら祖母は私に近寄りまた頬を思いっきり抓った。より祖母を嫌いになった。高校生にもなれば私よりもずっと背の低い祖母だけど、私にとっては恐怖と嫌悪の対象だった。祖母はいつも暴力の翌日になると半笑いでごめんね、と謝ってくる。少なくとも祖母はよくある家族喧嘩だから謝ればそれで済んでいると思っているようだ。幼少期から高校生までこんな繰り返しが度々あった。

   母が自殺で亡くなったとき、私は母はきっとこの家に殺されたんだと思った。小さなことで祖母に咎められグチグチ言われる母。祖母が母を怒鳴る場面を何度か見たことがある。そして私はよく母から愚痴を聞いた。そのたびに、離婚すれば?なんて私はアドバイスをしたけれど、現実はそんな簡単なことじゃなかったのだろう。もし、この家に母が安らげらる場所があったのなら母は死ななくてもよかったのかもしれないのに。こんなの私のただの想像でしかないけれど。

   母が亡くなって以来、一人暮らしの私と連絡を取る役目は母から父へと変わった。急に私に深く関わってくる父のことが違和感でしかなかった。私は時々父の連絡を無視した。心配なんてされなくてもよかった。それでも父は私に関わることをやめようとしなかった。

   母のいない実家なんて、私にとっては帰る意味がなかった。でも、友達には会いたくて時々地元には帰っていた。母の葬式を終えてから半年後くらいに地元へ帰る機会があった。駅へ迎えに来た父の姿を見て一瞬私の息が止まった。この半年間で信じられないくらい白髪が増えていた。びっくりした。でもそのことには触れなかった。私は車の後部座席に乗った。斜め後ろからまた確かに増えた白髪の頭を確認して、何を言えばいいのかわからない、何を話せばいいのかわからない。私と父はいつもぎこちない。話はいつもすぐ途切れてしまう。それは今でも変わらない。

   私がニートになって実家へ戻るときに、父は私への子育てについて謝ってきた。自分の感情に任せて怒っていたことがあった、と。''もういいよ''と思った。''もういいよ''というのは許したわけじゃなくて、もうどうでもいい、諦めとか呆れとかってこと。幼少期になんて戻れないし、幼少期の記憶を消すことだってできない。それらが積み重なって今の情けない自分があるのだから。もういいよ。謝って自分の気持ちが済むのならどうぞ謝れば?そんな感じだった。

   私がニートのとき、祖父が私に嫌味を言ってきたことがある。「働いてもないのに、何してるんだ」というようなことだったと思う。私はそのとき、洗っていた食器をシンクに強く投げつけた。頭に血が上ってカーッとなった。母が自殺して、兄が鬱病になったとき、私はまだ働いていた。そのとき祖父は「◯◯ちゃん(私)だけが希望だ。」と言っていたくせに。勝手に希望要員にさせられて、今度は勝手に絶望要員にさせられてどうしろって言うんだ。どうせ人の気持ちを逆撫でして自分のストレスを発散したいだけだろう。理想の孫じゃなくて気に入らなかったんだろう。ただでさえ情緒不安定な今なのに、こんなことを言われると感情のコントロールが不能になりそうなことがある。ニートが家族を殺すか殺さないかなんて本当に紙一重だ。こういうことを私は何度が実感した。なぜ私はそこで家族を殺さずに済んだのか。それはそこで祖母がフォローしてくれたからだった。「まぁおじいちゃんそんなこと言わなくてもいいじゃない、いいのいいの。」祖母はニートの私の味方をした。私は驚きつつも、心がそっと落ち着いていくのを感じた。昔はあんなに私に暴力を振るって怒鳴ってばかりいたのに。だから私は祖母が大嫌いでひどい態度をたくさん取ったのに。それでも祖母はひたすらニートの私の味方をした。

   昨年末、祖父が亡くなったので葬式に出席するために地元へ帰った。最近は話すこともない祖父だった。母が亡くなって、さらにニートになって以来、どんどん家族との関わり方がわからなくなった。最近は実家に帰っても祖父とはほぼ話をしなかった。祖父との思い出は幼い頃に海へ行ったことくらい。そのときチョコレートのお菓子を買ってくれた。その日は暑くて少し溶けたチョコレートを2人で食べた。それだけは憶えている。

   それだけなのに、棺が火葬室へ入っていく瞬間、私は不覚にも泣いた。海と溶けたチョコレート。なぜか憶えているその記憶がそうさせたのだ。そして、父が泣いていた。そうだ、自分の父が亡くなったら泣くことなんて自然なことだ。でも私はなんとなくそんな父から目をそらした。

    父は母が自殺してから、ニートになってしまった息子と娘(私)をひたすら見守った。働け、なんて高圧的に言ったことは一度もない。ニートになったことへの皮肉も一度も言ったことはない。幼い頃、父の短気で私が怒られていた、あの頃の面影はもうない。ただ1人でひたすらに私たち兄弟に関わり、なんとかして家族の形を壊さぬように、一生懸命だったと思う。そして、私たちのことを絶対に諦めなかった。父も私たちの味方だった。だから私たち兄妹は無事にニートを脱することができた。

 

   父も祖母も変わった。私だってたくさん反抗したのに、父も祖母も結局は私の味方になってくれた。今もなお白髪が増え続ける父と、年々背中が丸く小さくなっていく祖母を、幼少期の記憶を根に持って嫌いで居続けるなんてできない。こんなことで嫌いで居続けるのなんてこっちが疲れる。罪悪感で自分のことのほうが嫌いになりそうだ。ずるい。老いはずるい。ため息が出る。ずっと嫌いで居させてくれたほうが楽だったのかもしれないのに。

 

   家族は複雑だ。一番憎くて、一番頼れて、一番ずるくて、一番好きで、一番嫌いで、一番大切で、一番安心できて、一番どうでもよかったりして、それでいて一番重い存在で、時にはそれが嫌で逃げ出したくなるほどで、時には泣きつきたくなるほど恋しい。

 

   私は複雑なのが嫌いだ。だから私は子供を欲しいと思わない。泣いて笑うような激しい感情の上下の先に待つものが例え暖かいものであったときても要らない。泣きながら笑うようなことって私にとっては苦しくてもう私の心が持つ気がしない。これからはもっと単純に生きていきたい。穏やかに過ごして、私は最後は一人ぼっちになってもいい。孤独なんて受け入れざるを得ないもの。どんなに寂しくなっても受け入れるしかないじゃない。それだけ。ただそれだけ。私はもう何もかも十分だ。だけどまだ生きなきゃいけないみたいだ。

    そうだな、せめて祖母と父は見送ろうと思う。それから、ニートの時に外に出るきっかけをくれて、ぎこちない私たち家族を少し明るくしてくれたワンコも、見送る。そのために流す涙ならどんなに疲れたって何も惜しくはない。だから私も見送るくらいの力だけは残しておかなきゃいけない。最近、初めてそう思えた。