雨は止んでも、また降ってくる

アラサー既婚・子なし女の雑記

1000万テキトーに使って死のうと思ったけど死に損なって生きてしまっているよ!

 自殺志願者によくあるやつ。「30歳までに死にたい」願望。私もそれでした。20代半ば、ニートになった私は死にたい願望がピークに達していました。そのとき私の手元には1000万円くらいありました。何のお金かというと、母が自殺した時に入った保険金等々。将来のためにとっとく?そんなの思いつきもしなかったです。なぜなら超刹那的にしか物事を考えられなかったからです。1年後、いや1週間後だって私は生きているか想像できなかったのです。1週間も生きてるなんて考えるだけでゾッとすることもありました。この先を生きるということが果てしなく絶望に思えたのです。だから、30歳なんてとっくに死んでる予定だったのです。え、今?私もうすぐ31歳ですが、余裕で誕生日迎えるつもりです٩( 'ω' )و

 

 

    刹那的にしか生きられなかった私の頭の中の未来の自分はいつも無。だって死んでいる予定だから。そうやって生きるということから逃げられることだけが希望だったのです。みんななんで当然のようにこれからも生きることを前提として生きているのか本当に理解ができませんでした。

   それでも実際にはなかなか死ねない日々が続きます。いつも明日目が覚めませんようにってお願いしてるのに(とっても他力本願)、きっちり朝が来る。あーあ、今日も目が覚めちゃったって起きて3秒後くらいには既に憂鬱。でもまだ自殺はできないのです。

    私は一度だけ本気の自殺未遂をしたことがあるのですが、あの頃の絶望感、虚無感といったら凄まじいものでした。それでも死ねなかったんです。そのとき悟ったのです。自殺って本当になかなかできるものじゃないのだと。あのときよりさらに強い絶望感と虚無感がなければ自殺を成功させることはできない。そう考えると、ちょっと無理かもって思ったのです。死ぬのってそんなに甘くないなと。またそこまで絶望感と虚無感を感じる状況に持っていくのかと考えると無理無理…いくら死ぬためとはいえそこまで生きることにゾッとする。死ぬために生きることに耐えられない。というわけわかんない状況になりました。死にたいのに死ねないってのもなかなか辛いものがあります。死ぬことへの憧ればかりは膨れ上がるのに、本当に遠くて手が届く気がしないのです。

   そこで、死へ向かって何もできなかった私は後先考えずに、好き勝手に過ごすことにしました。死ねないのなら、とりあえず生きていることの辛さから目を背けようとしたのです。バカ、そんなことしたらまた死から遠ざかるのにと思ったけどダメでした。私には生きているという絶望感に耐える強さがなかったのです。そして、気が向いた時にテキトーにお金を使うことで生きている辛さを誤魔化すことにしました。根拠はないけれどきっと近々死ぬだろうし、どうせ死ぬなら最後のお楽しみ豪遊だと思って生きてた記念になかなかできないような贅沢でもしてみようかなと思ったのです。買い物依存になってみたり、一人旅に行ってみたり。国内も海外も一人でどこへでも行きました。そしたら本当に生きてる絶望感が紛れました。束の間の心の休息タイムです。そして死んだらお金使えないんだしまた今のうちにどんどん使っちゃうと思うのです。こういうのをなんて言うか知ってる?そう、「現実逃避」です。

   しかし、どうせ死ぬって言ってるのに、お金を使ってしまった罪悪感を感じる日があったり、お金を使って何かしても全然満たされなくてもったいないことしたなって感じることもありました。どうせ死ぬんだから別にいいのって言い聞かせてみたりもしたもの...そうやってお金を使っていくたびに、いつの間にか死への願望が薄れていき、そして、たぶん死ねないんだろうなって予感がが強くなってきたのです。本当に未来なんて私にとってはいらないものだったのですが、だんだんと生きることも死ぬこともめんどくさくなってきてしまったのです。困った。最期の贅沢だと決めて大金使ったのに、気がついたら死ぬことへの憧れがすっかり薄れてきてしまった。ということで、こんなんじゃ死ねるわけないわ…とついに諦めた私なのでした。

   別にお金を使っていろんな体験をして楽しくて、でもこれからも生きたいと思えるほど満たされたり、衝撃を受けるようなことがあったわけではありません。ただ、不覚にも好き勝手にやっているうちに死ぬ気がどんどん失せてしまったのです。かと言って生きたくもないけど、惰性で生きざるを得ない状況になったというような感じです。これも変な話なのですがこれが、私のニート史上の中で「惰性で生きざるを得ない」というこの状況、一番健全な心の状態だったのでした。だって気がついたらその後私働き始めていましたから。

    最低でしょう?親が死んだときに与えられた1000万円を無駄遣いして。たいした使い道でもないのに。別に何も満たせてないし、何か今後につながる物を得たわけでもないし。ただ、お金で現実逃避できたおかげ?で命だけは繋ぎました。そんな繋ぐほど価値ある命だったかと言われると、悲しいことに自分でもそうとは思えなかったりするのですが。でもたまたま私の手元にお金があった。それも運命なのかなと。

 

 ということで、現実逃避というのは自殺防止対策上でかなり重要な要素なのかなと身を以て思ったわけなのです。

   以前、何かの番組で僧侶の方が言っていた印象的な言葉があります。自殺を引き止めるにはどうすべきでしょうかというお題に対しての回答、「騙し騙し生き延ばすしかない。」って。その通りだなと思いました。生き延びて、変わるタイミングや機会が来るのをひたすら待つのみ。それに賭けるのみなんですよねきっと。世の中誰にも救いようのないできないことってけっこうあります。でもいつか変わるかも知れない風向きや運に賭けて、その時を待ってひたすら騙し騙しやり過ごすのです。やり過ごしてそのタイミングや機会がいつ来るか、そして来ないかもしれないか、それは本当にわからないのですが...。やり過ごすって口でいうほど簡単じゃないです。人によっては本当生き地獄レベルかもしれません。私はそのやり過ごすの部分をお金を使うことによってなんとか繋いでいました。その結果、気持ちも変わっていきました。死ぬことに希望を持ちつつやっていたことなのですが、自分が死に向かって生きていくことの辛さに耐える強さがない故に結果的には生き続けることにつながってしまいました。ちょっともう自分でも何言っているかわけわかんなくなってきた。

 

   後悔はまぁまぁしてます。だって30歳の今でも生きているし、あのときのお金使ってなければなぁって考えたりします。でも途中で迷いが出てきたおかげで全額は使っていなくて実は残っている分もあったりします。今はそれをなるべく減らさないよう大切にしています。ようやく私も、これからも生きることを前提にして今を生きるということができるようになったみたいです。生きるのも死ぬのも簡単じゃないですね。よーく分かった。それにしても私は贅沢な死に損ないだな。お金に困っていないって状況だけでも恵まれていたのに。というのは今だから思えることです。あの頃の私には私なりの生きることへのしんどさがあったので、私はそれを自分で認めてあげようと思います。よくあの時生き続けたな、私。