雨は止んでも、また降ってくる

アラサー既婚・子なし女の雑記

〔ニートひとり旅の思い出〕アムステルダムで何を思う?

  アムステルダムは一度しか行ったことないけど、面白くて大好きな街。ポルノショップなんて隠れてないし、面白い博物館がたくさんあるし、堂々と大麻やってる人々がいるし、教会の中では美術展をやってたり、広場では突然大道芸が始まる…この自由な雰囲気、好奇心がそそられる。

 

 私がアムステルダムで一人旅をしたのは2012年春のこと。私ニート真っ只中。そしてちょうどオランダにチューリップが咲く時期、キューケンホフ公園に行きたいと思い、ほぼ思いつきの衝動で訪れた。こんなことできるのもニートの特権。

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 そして呑気にチューリップを鑑賞し終えた私はアムステルダムの中心街を探索することにした。すると、とある教会で世界報道写真展が開催されているのを発見した。日本でも恵比寿で毎年開催されていて足を運んでいたのだが、この年は偶然私の旅の時期とアムステルダムでの開催期間が被っていたようなので急遽写真展を鑑賞することにした。

 

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   報道写真展は前年の出来事の写真が展示される。つまり2011年の出来事、なのでもちろん東日本大震災の写真もいくつか展示があった。多くの外国の方が震災の写真に目を止めていた。実際に震災についてより興味を示し、そして知ってもらえる場面を見て、日本人として何か感慨深いものがあった。

   東日本大震災と一言で言っても、もちろんいろんな写真があった。津波がまさに街を襲う瞬間の航空写真、何もかもがめちゃくちゃになって瓦礫だらけの街の様子、原発近くで防護服を着込み完全防備で作業にあたる人の写真…。そして意外に多くあったのが被災者の人々の様子の写真だった。仮設の風呂場の様子、震災後も力強く励まし合うよう「がんばろう東北」と書いてある横断幕を掲げている人々の写真、悲しむ人々の表情…。

   その後、東日本大震災の一連の写真のコーナーの横に展示された写真に目が止まった。東南アジアの子供の写真だった。具体的な国名は忘れてしまったが、1人の小さな少女がゴミの山の中に座り込んでいる写真でだった。ゴミの山の中からお金になりそうなものを探して暮らしているという状況を捉えた写真だった。極めて不衛生な現場で生きるしか術のない幼い子供。日本の仮設のお風呂のように体を清潔にできる場所はあるのだろうか。きっと横断幕を掲げるための真っ白で綺麗な紙も、マジックもないような暮らしをしているのだろう。なんて思ってしまった自分が何だか卑しくも感じる。何も持たずただひたすらゴミの山を渡り歩く過酷な日常。

   片や、被災者の中には大切な家や仕事も何もかも失った人がいる。大切な命を失った人もいる。その喪失感たるや言葉に表すことはできない。        

    実際、私は仕事で被災者の方とお話をする機会があった。まだ震災後間もない頃で、どんな支援や対策があるかも具体的に決まっていない状況だった。だから私も何をどうしたらいいかわからない。被災者の方が縁もゆかりもない地にいろんなものを失ってきっと縋るような思いで身ひとつでやってきた。助けを求める声に、後に迫る不安を語るその声に、受付係である私は閉口し何の言葉も発せなくなってしまった。

 

    少女が生きる過酷な日常と、日本で被災した方々が強いられる非日常生活。比べるのはもちろんナンセンスだと分かっている。どちらが恵まれてるとか、どちらが悲惨だとかなんて誰にも分かるわけがない。

   今年の報道写真展は何だろうか。テロリズムの写真は必ず入っているだろうと思う。見たくないような、見なければならないような気もする。

   ちなみに私は昔、報道写真展を見ることで、日本が恵まれている、自分が恵まれていることを実感して一時だけ生きやすくなるようなそんな感覚を覚えていた。自分の日常に改めて感謝する。それはいいことだと思っていたけど、今ではお馬鹿ちゃんだったと思うし、恥ずかしく思う。

   日本は確かに世界一、二を争うほどの恵まれた国ではある。しかし、騙されてはいけないとも思う。WHO基準で見れば日本の年間自殺者数は10万人を超えている。紛争地帯でもないのに。目に見えないところで、自分と戦い続けている人々が渦巻く国が日本。恵まれている部分は目に見えるけれど、目に見えない苦しみがそこらじゅうに存在している。写真には決して映らないわかりづらくも大きな歪な影が確かに日本には存在する。

   世界情勢を写真で見て、知ること、理解できることはたくさんある。特に、世界の悲惨な現状をあまり伝えない日本のマスコミはあてにならないから、知るためには能動的に情報を収集しなければならない。写真じゃなくとも、ネットで探せばいくらでも見つかるだろう。それが何のためになるのか、わからないけれど。ただ、知ることで広がる世界や、気づきは必ずあるだろう。

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    写真展を見終えて教会の外に出れば、飾り窓の中で下着姿でタバコを吸うおねえさんが見える。その横にはアダルトグッズの大きなポスター。その向かいにはチューリップが見たいとか言ってこの街に訪れてた一人の無職の日本人女が次はどこへ行こうかと迷いながら立ち尽くす。世界なんて変なことだらけ。歪の集合体。本当にそれだけのこと。カオスだらけで、言葉になんて表せないわ。