雨は止んでも、また降ってくる

アラサー既婚・子なし女の雑記

子供が欲しいと思えない自分(2)流産後のノイローゼから思ったこと

 前回記事の続きです↓

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 私がノイローゼになったのは決して流産が悲しかったからではないです。むしろ全く逆で、流産が悲しくなかったから、です。子供を全く欲していないということを自分でよく理解したからです。夫が欲しいと言っているのにこんなに大事な場面で意見が割れてしまい、どうしたらいいのかわからなくなりました。

 

   流産後、私は検索魔になりました。「結婚前に子供を持つと言いながら手のひらを返すなんて詐欺だ。」「男の人はいずれ子供が欲しくなって奥さんは捨てられる。」「実際に子供を持つ、持たないで意見が合わず離婚に至った夫婦を知っている」…などなど、ネガティブな情報ばかりが胸に刺さりました。それでも、夫をつなぎとめるために子供を産むのは絶対に違います。「子供をつくるのは本当に自分が心から望んだ時」に、それはもう揺らぐことはないと思います。

    でも、子供を持たないとしたら私には一体何ができるのだろうかとも考えました。心も体も弱くて、まともに働くことも難しければ、子供もいらない。私の存在意義がないのです。私を養うために使われる、夫が一生懸命働いたお金が、私に食べられる食べ物が、かわいそうだ...と思うこともありました。

 時には帰宅直後の夫の前で泣き喚いたこともありました。そんな私に夫が言った言葉。「もう子供産まなくていいから。産まなくて大丈夫。◯◯(私)が居てくれればいいから。」私はこんなことを言わせてしまいました。でも知ってます、子供を欲しがっていることは。だからどんな言葉を言われても安心することはありませんし、罪悪感でずっと苦しいままです。でも、婚前私が子供を持つと言ってしまったが故のことです。この苦しさは持たなければならないものです。

 

   私が母親になるべき人間ではないことはもうすでに十分に承知していますが、夫婦で話し合った結果35歳までに気が変わらなければ子供を持つことはしない、ということになっています。35歳までは私の気が変わることを待つということです。それ以降は、私の体の弱さも考えてこの年齢設定になりました。

 

   では一体何がどう変われば、私は子供を欲しいと思える可能性が出てくるのでしょうか。そこで私はまず、妊娠出産子育てに関することへのネガティブイメージに繋がっている自分の要素をまとめてみました。

 

子供を欲しいと思えないという気持ちにつながっていると思われる要素

 

●人より体力、精神力がない

   私は自分が生きることでも精一杯に感じることが多いのです。その上子育てや、悩みが増えることに耐えうることができる気がしない。

 

●自分ができれば生まれたくなかったと思っている

   私は自分の人生を大切にできていません。今は自殺願望はないのですが、もし今ここに安楽死できるボタンがあるとしたら迷わず押します。私は惰性でしか生きていないとも言えると思います。生きているということに肯定的ではない自分がいます。つまり新しい命を生み出す出産という行為には矛盾が生じます。

 

●暖かい家族の体験がない

    自分が育ったのはすごくひどい家庭環境でもありませんでしたが、決していいとは言えない環境でした。暖かい家族とはどういうものなのか、実感としてよくわかりません。

 

●母親が自殺している

    私は母親が大好きだった。だから母の出した人生に対する答えを尊重したいし、正直同意してしまう部分があります。また、実家と離れているとはいえ実母に全く頼れない育児というのは心身ともに辛いことが想像できます。

 

●夫が激務

 土日出勤もあります。優しくはありますが、子供を欲しがっている本人に子育ての手助けは期待ができません。子供を持った場合いずれは単身赴任になりますが、年頃の子供と1:1で向き合える自信がありません。

 

●母は自殺、兄は鬱病経験者、私はニート経験者

 これが気質の問題だとしたら遺伝させたくないです。そして私がこれらを経験した時期はまさに生き地獄でした。もし自分の子供がこんな思いをしてしまう可能性があるとするとかわいそうで仕方がないです。

 

●産まない優しさもあるというのが理解できる 

 検索魔になった時に反出生主義というものがあることを知ったのですが、共感できた。    

 

●欲しがることを強制されることに強い違和感と抵抗感を感じる

 というのも自分で自分をこういう風に追い詰めてしまっている部分もあります。幸い、今のところ両家とも孫の催促はないのですがこれからあるのかなと考えると憂鬱です。欲しがるならやはり欲がないとダメです。「子供が欲しい」と絶対的に自分の中から思わない限り子作りはしません。

 

 

…なんだか挙げればきりがないかもしれません。自分でも思いますが、こう振り返ると子供が欲しいと思えなくても全然不思議じゃないです。それでも私はずっとこれらの経験や感情を振り返らずに蓋をしてきたので気がつかなかったのです。身に起こった不運なことを人生の言い訳にするのは情けないと思っていたからです。でも、全く逆でした。私はこれらのことに向き合って乗り越えなければいかないのだと思いました。蓋をしていたのは見ないようにして逃げていただけでした。それで乗り越えられることもあったけれど、そうじゃないこともあるようです。

 

    ちなみに私は自分の時間とかお金に執着はありません。私は今お金を稼いでいないし、時間だって有り余っています。それでも子育てする体力、精神力に自信はありません。かわいいと思える余裕があるのかもわかりません。なので闇雲に妊娠出産にトライすることはもうしません。

   

   私はニートを脱した時、諦めかけていた''普通の幸せ''みたいなのを手にできるのではないかと思いました。漠然と、夫婦がいて子供がいるという画は浮かぶのです。(ここでは''普通の幸せ''=夫婦と子供の居る家族という定義とします。)でもそれは、普通の体力と精神力あってこそなんだということに気がつきました。私はやっぱり''普通の幸せ''を求めるのは間違いだったのではないかと今は思います。私はなんとか普通だと思っていたけれど、そうじゃなかったんです。欠陥人間でした。やっと気がつきました。もう、普通についていくことに疲れてしまった。それなのに、まだ諦められない自分もいます。バカみたい。こんなに生きるのって辛いのに。

 

  子供を欲しいと思えるかどうかなんて分かりませんが、今私はQOL向上計画をしています。少しでも自分が幸せな時間を増やすこと、体や心が辛いと思う時間を減らすということにつながることをしています。体力をつけたり、体の不調の解決に努めたり、カウンセリングや心療内科へ行ったり…。まずは生きることを肯定的に捉えられるようになることだとが重要だと自分で思っています。そのために心身ともに今より少し余裕が欲しいのです。これは子供を欲しいと思えるようにやるのではなく、あくまで今後を生きやすくするためにやろうと思っています。子供を欲しいと思うか、思わないかはその結果であると思っています。もし私が今より少し元気になって生きることに肯定的になっても、子供が欲しいという気持ちになれなかったとしたら、それはそれで仕方ないと思います。子供を持ちたいか否か、今までの自分の人生哲学の答えのような気もします。

 

   ということで、今はこういう方針みたいなものが固まったので気持ちは落ち着きつつあります。でもやはり、ふと夫のパートナーが私じゃなければ今頃夫は自分の子供を抱いているのではないか…私なんて必要のない人間なんだから、消えてしまいたい。という気持ちに襲われることがあります。自分の不健全な人生に人を巻き込んでしまったという重さを感じずにはいられません。今のところ結婚生活はいいものだと思うけれど重い。すごく重い。いつか、必ず子供を持つか、持たないかどちらかの人生を選ばなければならないというのがすごく憂鬱に感じる時があります。どちらの道でも生きていくの嫌だなって、思うのです。それってもう生きることから逃げたいってことです。まだまだ弱すぎるな私。強くならねば。惰性で生きるのではなく、自分の足で立って、自分の足で人生を歩まなければ。