雨は止んでもまた降ってくる

アラサー既婚・子なし女の雑記

パンクロックを愛した17歳の君

   リンキン・パーク。CDを買ったことも何度かあったな。ちょっと中毒性があって何度もリピートしていたような気がする。そんな才能あるボーカルが自殺した。ニュースを見て驚くと同時に17歳の思い出と、いろんな思いが頭を巡った。

 

   私が高校生の頃、周囲ではバンドが流行っていた。私は歌うことが得意だったので、バンドに混ぜてもらったことがある。バンドをやっている男の子たちは、大人からはいわゆる''不良''と呼ばれるような感じの子が多かった。そんな中にごく普通の私がポツンと混ざるのは違和感ではあったけれど、歌えること、ステージに立てることが嬉しくて、それなりに楽しんでいた。

 

   そんなバンド仲間たちの中に私と同じくボーカルをしている同級生の男の子がいた。高校生でもマリリンマンソンを迫力十分に歌いこなせるような力強い声を持った人だった。彼もいわゆる''不良''だったけれど、どこか他の仲間たちとは違う雰囲気を持っていた。独特の威圧感みたいなものがなくて、どこか雰囲気が柔らかく優しく明るくて、不良仲間以外のいろんな人とも親しく好かれていた。

   そんな彼は17歳のある夏の日に自殺してしまった。あまりに突然のことで、その頃の私にはただただショックで泣き続けた。私は彼のことが好きだった。

 

   心の闇があるからこそ素晴らしい音楽ができることがある。昔何かのインタビューでCoccoが、歌うことは排泄だと言っていた。出来上がった音楽は排泄物だと。きっと大きな闇を抱えて音楽をしている人は似たような感覚があるのではないかと思う。心の闇こそが、今まで積み上げてきたその人自身の一部を形成しているからこそ素晴らしい音楽作品が生み出される。でも皮肉にもその才能の傍らで常に自分が壊れてしまうリスクがつきまとっているのではないかと思う。

 

   自殺にはきっかけがある。でも原因はきっかけではない。原因はその人のもっともっと深く基本的な部分にあると思う。リンキン・パークの彼は生前、幼い頃に性的虐待を受けてきたことをとあるインタビューで打ち明けたことがあったという。もしかしたら、それはヘルプサインだったのかもしれない。

   積み上げられた自分の軸や土台。それは成長過程や生きている時間の中で強固なものに形成されたり、ボロボロだったりする。大人になってもそのままだったり、ヒビが入ったり、固まったり、その形を変えることもある。それはその人がどんな経験を積んで生きたか、ということとも言える。もしくはただ単にその人がもともと持っている性質かもしれない。きっかけとなる出来事は、軸や土台がどうあるかで受け取り方は大きく変わると思う。軸や土台が今にも崩れそうなほど不安定だったら、触れてしまえば壊れそうなほど柔いものだったとしたら…。

 

   そんな人に死を超える生の魅力はないのか。ストッパーはないのか。軸や土台を修復する術はないのか。才能溢れる人でさて、持ち直すことができない。リンキン・パークの彼だけではない。大きな成功体験をしても自ら命を絶つ人は過去にも存在する。一見強そうに見えても軸や土台が不安定だとふとしたきっかけであっという間に沼にハマったように死ぬことに取り憑かれてしまう。

 

   同級生の17才だった彼には一体何があったのだろう。自殺のきっかけは知っているけれど、誰でも人生一度は体験するようなことだった。私もそれで死にたい気持ちになったことはある。そのショックを乗り越える力を持っていなかった彼の土台や軸はどんなものだったのか。それまでどんなふうに、何を思って生きてきたのだろう。13年経った今、また気になり出した。17年の人生、人はきっと「そんな若くして...」なんて言うかもしれないけれど私はそうは思わない。彼は見えない何かと激しく戦っていたはずだ。そんな人生に長いも短いもない。よく17年生き抜いたね。もうすぐ13回目の命日だ。

 

   先日、私は自殺した母のお墓へ行った。私はお墓が好きじゃない。なんだか閉じ込められてるみたいに感じるからだ。だから私はお墓の扉を開けて、母の骨を一欠片持ち帰った。砕いて違法にならないように綺麗な沖縄の海に散骨しようとおもった。でも、その骨を持った今、側に置いておきたい気もしている自分がいる。何故だろうか。私はもしかしたら寂しかった、不安だったのかもしれない。骨の欠けらだけでも側にあるという真実がこんなに影響するなんて。おかしいね、だだの石灰質の欠けらなのに。こちらは冬に11回目の命日を迎える。

 

   ねえ、どうせならパンクロックが好きな君とリンキン・パークの彼とで一緒に歌っていなよ。気が合いそうだよ、君達。あの世なんて生きている人間が作り上げた虚構でしかないけれど、どこかでくだらないと思っているけれど、そんな虚構の世界に頼りたくなる。

   それは彼らのためじゃない、私が彼らにそうあって欲しいと思うから。そして私もいつかそのパンクロックを聞ける日を楽しみにしている。なるべく早くに。そう思ったけれど、まだ私は死ねないや。

 

   私は最近、人の苦しみを少しでも取りぞけるような、軽くできるような人になりたい。「救う」とか「助ける」なんて烏滸がましいけれど。死へ向かう気持ちを止めて、生きるほうへと導きたい。死にたいままの気持ちを持たせたまま無理やり生かすのは違うと思うから、飽くまで、死へ向かう気持ちを少しでも方向転換できるように手助けをしたい。そんな気持ちが最近自然と湧き上がるようになった。甘いかな?でもこんな心から湧き出るような気持ちを持つのは初めてのことだ。私だって未だ死へ向かう気持ちを持つことがある。こんな弱い人が人を導く手助けなんてできるわけがない、弱い私には何もできない、そう思っていた。だけど、最近はそれでいいんだと思う。これは私が私のためにやりたいことなんだと気がついたから。私は同じ今をつまずきながらも生きる人を手助けをしたい。それが私の幸せなような気がしてきた今日このごろ。現実はそんな気持ちだけでできるものではないほど厳しいものだろうけれど、トライしたい気持ちが日に日に強まっている。

 

   昨日はスコールが降った。清々しくて、童心に戻って傘も差さずに雨の中でクルクル回って踊りたい気持ちになった。熱いアスファルトを少しだけ冷ましたかと思えば、やがて熱気が舞い上がり身体中を包み込む。それが不思議と心地よかった。ずっとこんな熱を心に留めておきながら生きられるのなら、私はもっと強くなれるのに。

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