雨は止んでも、また降ってくる

アラサー既婚・子なし女の雑記

学ランを着た女の子

 高校生のとき、性同一性障害の男の子と同じクラスだった。学ランを着ていたけど、所作も話し言葉も女の子以上に女の子だった。教室は4階にも関わらず、お手洗いはいつも1階にある障がい者用のトイレを使っていた。体育の時間になると日焼け止めを塗りたくっていたのをよく覚えている。

 

   そんな彼女(彼)はいつも明るかった。男子にも女子にも分け隔てなく接するし、「肌が白くて羨ましい」「目がぱっちりしてていいなぁ」と、女子の女性らしいところはたくさん褒めて、人の心配をして、とても気遣いのできる人だった。

    彼女は物心ついたときから自分の性の不一致に気づいていたという。そして男の子だけど、所作も話し言葉も女性らしかったのは、小学生の頃から変わっていないらしい。そして彼女は、自分はとても恵まれているのだと言っていた。それは、小学生の頃からずっとこんな感じなのに一度もいじめに遭っていないからだと。

   高校のとある合宿の際に、男子が集まって(と言ってもうちのクラスは特殊で男子は10人くらいしかいなかった)真剣に「男子として扱ってほしいのか、女子として扱ってほしいのか」話し合ったらしい。きっと、男子たちも長い学校生活の中、男子として一緒に扱われる彼女を気遣うことが多かったのだと思う。そして彼女は、女子として扱われることを望んだ。そして、男子たちはそれを了承した。今思えば、みんなが優しいクラスだった。彼女は「自分は恵まれている、一度もいじめに遭ったことがない」と言っていたけれど、それはもちろん周囲の人々に恵まれて運が良かったということもあると思うけど、当然だとも言える。だって単純に彼女の人柄が良かったから。

   物心ついた頃から自分のジェンダーについて思い悩み、それからずっと男の子として扱われた十数年は長かったと思う。女子トイレは使えないし、学ランを着ないわけにはいかない。毎日毎日、ずっとどこかで息苦しさを感じて生きていたと思う。それでも彼女は、そんな素振りを一切見せなかった。自分の中の女性性を隠そうともしなかった。笑うときにはいつも口に手を当てて、上品に笑う。そして、いつも明るくて人懐こかった。学ランを着た女の子を前に、戸惑う者は誰一人居なかった。みんなを笑顔にさせる、彼女にはそんな力があった。皆彼女に不思議な魅力を感じていたはずだ。

   大学生になり、東京へ行くと彼女はみるみるうちに女性になった。ダイエットを頑張ってミニスカートを履く彼女がそこにいた。そしてまた一段と明るくなっていた。彼氏もできたのだとプリクラも見せてくれた。こうなれば、女友達と話しているのと同じ感覚だった。

   今はもう会わなくなってしまったけど、新宿2丁目あたりで働いているのかな。それとも、勉強も楽しんでいたから、理解のある企業で活躍しているのかな。印象に残っているのは、彼女がこれからホルモン注射を打つと言っていたことだ。それを打ち続けると、寿命が大幅に縮む可能性があるらしいが、彼女はそれでいいのだと笑顔で言っていた。20代前半でそう言い切った彼女は誰よりも強くて潔かった。

   という彼女のことを今ふと思い出したのはたぶん、彼女の生き方はすごく素敵なんだと気付かされたからだと思う。自分の運命に卑屈にならず、社会性を保ちつつ、然るべきタイミングで自分を解放して生きてゆく。究極に自分を愛した生き方だなって。私なんて歳をとればとるほど、気づけば世間とか気にして勝手に卑屈になったりして何もできないまま、なんだか情けない生き方してるなーと。なかなか難しい、世間様を無視して自分を貫くのって。さらにある程度の社会性も保ちながらって、そんな器用さは私には皆無だ。彼女の強さには到底敵わないけど、いつか私も自分を愛して堂々と胸張って生きれるようになりたいな。