雨は止んでも、また降ってくる

アラサー既婚・子なし女の雑記

心療内科からの宿題〜心の転機?〜

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    今の心療内科7ヶ月目です。すごい、ながーい!って感心してる場合じゃないか。前回の診察でこの本を読むことを勧められました。今までこういうの避けてきたんですけどね。だって本で解決できるんなら、世の中こんなに病んでる人いないわ!って思っていたから。でも、信頼を寄せている医師からの勧めなのでとりあえず私は読むのです。

 

   いわゆる認知行動療法の手順が主な内容なのですが、本自体は薄いし、字もデカイので30分くらいで読み終えました。なるほどーとためになることもあるし、内容自体は理解し易しい本でした。ただ、正直なところ認知行動療法を実践するとなると、超〜めんどくさそう!というのが率直な感想です。だって過程が長いんだもん。どんだけ掘り下げんのって。とても疲れそう。と同時にそう思えるぐらいの今だからこそ実践どきなのかもな、とも思いました。

   それから忘れちゃいけないのが、自分なんて所詮はもう一人の他人で、自分のことなんて分かっていないことの方が多いっていうこと。だから掘り下げる必要があるのです。

   20代の頃、私はとにかく自分を責めまくっていました。自分って周囲の人よりかなり劣った人間だなって思っていました。人生ってこんなに辛いものなんだ!って衝撃を受け続けて、それを受け入れる間もないく、あれ?あれ?って戸惑っているうちに、どんどん転落してニートになりました☆びっくりするほど何も上手くいきませんでした。周りの友人はそれはもう幸せそうで、何で私だけ?と思って疎遠になった時期もありました。最終的には、自殺しようと思って首にロープかけるとこまではいったんですけどできませんでした。ちょうど首にロープをかけた私の真ん前にオーブントースターがあって、そのガラスに映る自分の顔がふと見えてしまったからです。そこで私改めて思ったんです...「自分の顔、けっこう可愛いわ」って。そんな理由で、自分を殺すまでに至れませんでした。これバカバカしいけど、本当の話です。

   そして、死ねなかったので、諦めて仕事を辞めて実家に帰ることにしました。そう決めてからは解放されると思っていました。でも、それは私にとってどん底のスタートにすぎませんでした。まず、居心地の悪い実家で家族とうまくいきません。そして謎の苦しみが襲い続けてきました。解放されたはずなのに、なんで?あれ?あれ?さらなる精神不安に襲われました。絶望って底なし沼だと思いました。毎日声を上げて息苦しくなるまで泣いていました。そして壁や扉を殴っていました。家族から気に食わないことを言われて、物を投げつけたこともあります。もう自分でも何がなんだか分かりませんでした。幸い、私の場合はそこまで口うるさく言う家族がいなかったのでよかったのですが、ニートが家族に危害を加えるかどうかって、かなり紙一重だと思いました。もし私もあのとき「働け!」とか言い続けられていたら何をしていたか分かりません。そのくらい危機的な心理状態でした。何かあるとすぐキレるという感じ。それでも、焦りがあって、早く仕事しなきゃとも思っていました。それなのに、とても死にたくて死にたくてたまらない。仕事しなきゃ、でも死にたい…頭の中はその繰り返しでした。もうコントロール不能です。それでも何ヶ月かすると、だんだんそんなニートの自分に慣れてきました。

   それからしばらく現実逃避をしました。ちょっと調子がいいなって思ったときに、フラッとひとり旅をして帰ってくるというのを繰り返しました。それでもやっぱり、基本は死にたい。これまた最悪なのが、こんな精神不安定なのに心療内科に通院してなかったんです。する気がなかったんです。だって、仕事してるときずーっと心療内科に通って、たくさん薬も試した結果が自殺未遂+ニートになったわけですから。もう医者なんて何の役にも立たないわと、見切りをつけていました。そんな私の唯一の癒しは、地元の数少ない友人でした。私がニートになっても、変わらず接してくれる友達の存在は大きかったです。

   そして、とある現実逃避旅を終えた後、ついに私は働くことに決めました。現実逃避ってとても大事でした。一見、無意味なように見えますが疲れた脳を休めることができます。それでちょっとずつ回復して、働こうと思えるまでになったのだと思っています。運良く期間限定の派遣の仕事が決まりました。それも空白期間については何も問われませんでした。ラッキーでした。ニート期間、1年3ヶ月で終了!その前に、半年間休職していたので実質2年弱ぶりの社会復帰です。車で泣きながら通勤したりしていたのですが、職場環境に恵まれてなんとか期間満了までがんばることができました。

   という感じでいろいろありながら今に至るんですけど(だいぶ端折った)、最近はなんかこう絶望することに慣れたのか、気分がドーンと沈むことはあっても結構早く回復します。あ、まただ、という感じ。それで、どうせ死ねないし、生きるしかないのならより良く生きたいな、というところまで今辿り着いてたわけです。そこで、自分の気分がドーンと沈むパターンみたいなのがあるなって気付いたりして、自ら心理学の本を読み始めました。そしたら、ああ、あのときの自分ってこんな感じだったんだな、なんであのとき気づかなかったんだろうとか思うわけです。あのとき気がついていれば違う人生送ってたんだろうなって。でも、まずそもそもあの頃はこんなふうに自分を客観視するような、余裕なんて皆無でした。従って、後悔しても無駄、終了!

   今自分のことをどう思うかというと、社会性の面では人より圧倒的に劣っているというのは事実だと思っています。何せ、体力がない上に自律神経がぶっ壊れているので、無理してまで働きたくない。自分が弱いのは事実だし、母が自死したことや、自分が自殺未遂をしたことで死生観もぶっ壊れているので子供もいらないです。夫の希望により無理やり作って流産したことありますが、本当に自分の頭の悪さに嫌気がさしました。でも今は、けっこうどうでもいいです。できないことは無理してするもんじゃない。そういう学びだと思っています。今やれることだけしっかりやればいいと思っています。あとは夫が私と一緒に居てくれる限りは謝るしかない、申し訳ないと思うしかない。それのみ!だって、それよりもう私ぶっ壊れたくないっていうのが正直な気持ちです。私がぶっ壊れても誰も幸せになりませんから。もちろん、これから先ある程度の社会性は保っていかなければならないので、全てに開き直ってはいけないし、直さなければいけない部分があることは自覚しています。そこで今の「認知行動療法」なんだと思います。話めっちゃ長くなりましたが、自分を客観視できるのは今だからこそなんです。幸い、夫に養ってもらえている環境にあるからこそ、自分に余裕が生まれたのです。私は自分を客観視できるような、自分を見つめるような機会を享受できるようなラッキーな状態にあります。そして一度心療内科を見限ったくせに、結局私はまた心療内科に通っています。そして、今はどんなふうに心療内科を利用するのが正解なのか理解できてきた気がします。ということで、めんどくさそうだけど、とりあえず「認知行動療法」を実践してみようと思います。いい機会なので。ダメだったらダメでいいし。

   それから、自分を必要以上に責めることももうしません。自分が大事だからです。20代のときにたくさん苦しんだから、これからは大事にしてあげたいです。自己中になりたいです。今までずっと自分の心との闘いでした。だから、何かを極めるとかなかなかできなくて、ここまできてしまいました。職歴なんてもはやめっちゃくちゃ☆これからは心との闘い以外の何かに取り組めるような心作りをしたいし、心との闘い以外のことに取り組みたいです。自殺を思いとどまらせた自分の可愛い顔もこれからは老いていくわけだし。きゃー!

 

   ひたすら自分を責め続けた20代でしたが、今世間に対して思うことは、けっこうクソな人って多いし、人の痛みがかわからない人のほうが多いんだろうなと思います。そういう強い人たちがいないと社会が成立しないので仕方ないし、人の痛みとか気にしない人のほうが経済を回したり、冷静に判断できたりして、世の中の役に立っていると思います。稀に強く優しい人もいると思います。それゆえに、世の中って素晴らしいし、超くだらないなとも思います。だから世の中に対して悲観することもないし、楽観することもないし、テキトーに生きていきたいなと思っています。

   今は何かしら心の転機に差し掛かっている気がします。それゆえにまたしんどくなることもあるかもしれないけど、見えない流れに乗りつつ、私は自分のしたいように生きていこうと思います。