雨は止んでも、また降ってくる

アラサー既婚・子なし女の雑記

何をしているときが一番幸せ?

 私はずっと母のことが大好きで、亡くなってからもそのイメージのまま歳をとってきた。美化されいるところもたくさんあると思うけど、最近はそれはそれで幸せ?かもしれないと思う。もし今、母を生き返らせることができると言われてたら、拒絶する。絶対に嫌だ。母がかわいそうだし、もうずっと眠っていればいいと思う。

 

 幼い頃、私は父母と同じ部屋でそれぞれ布団を敷いて眠っていた。ことあるごとに私は母親の布団の中へ潜り込んだ。雷が怖いとき、なんとなく寂しいとき、とにかく甘えたいとき...母はいつも私を温かく迎えてくれて、それはそれは幸せな時間だった。

 ある日私は母の布団へ潜り込んだときにこう言った。

 

「お母さんは何をしているときが幸せ?私はお母さんと居るときが一番幸せ。」

 

 きっと「お母さんも、私と居るときが一番幸せ。」だと言ってくれることを期待していたし、99%その通りの答えが返ってくると思っていたし、その答えが欲しくて私はこんなことを聞いたのだと思う。でも答えは違っていた。

 

「ありがとう。お母さんは...うーん...寝ているときが一番幸せかな。」

 

 その後なんて言ったのかは覚えていないが、とにかく私はショックだった。ショックだったからこんなことを覚えているわけで。そんなの嘘でも「私と居るときが一番幸せ。」とでも言っておけばそれが一番楽だし、面倒くさくないはずなのに。なぜ、''うーん...''と考える間まで設けてこんなクソみたいに正直な返答をしたのかと思う。

 それから十数年後、母は自ら命を絶って永眠したわけですが。幸せでしょうか?きっと、眠っている時の「無」が好きなんだろうから、死後の世界なんてないことを祈っています。私は死後の世界なんて99%ないと思っているけど。

 

 ここ1か月、私は''起きている時間が苦痛''の日が多かった。ひと月前くらいに起こった(起こした)嫌なことを1か月間ずるずる引きずってしまったのである。それに引っ張られて関係のない過去の嫌な思い出も総ざらいした。心療内科の受診もあったが、抗うつ薬には戻りたくなくて抗不安剤を処方してもらった。しかし、全く効かなかった。一日中寝逃げをして気持ちが落ち着くのを待つ、という方法もあるが、自律神経の弱い私がこれをすると、起きてから数々の体調不良を起こすことが分かっているのでしなかった。起きている時間が苦痛なのに、それに加えて頭痛、下痢、めまいなどで苦しむなんて酷すぎる。だから苦痛でも起きていた。重い体を起こし、気晴らしにウォーキングに行ったら私は外に出たらダメなような人間な気がして落ち込んだ。気晴らしに人に会ったら不安障害の震えが復活して落ち込んだ。気晴らしに本を読もうとしたけど一行読んで閉じた。こんなときは、何をしてもダメらしい。

 ただ、唯一楽しい時間があった。それは睡眠薬を飲んでから寝るまでの時間。気持ちが落ち着いてフラットになるのだ(単に意識レベルが低い状態ともいう)。そうなると、昼間気が乗らなくて食事をしなかった分の食欲もわいてくる。だから寝る直前にたくさん食べた。非常食としてストックしてあった食べ物まで食べ尽くした。その結果、まだお正月が来ていないというのに太った。それも大増量である。

 

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 という不健康な1か月を過ごしたが、昨日は本を読み進めることができたし、少し筋トレしただけでヘビーな筋肉痛を起こし、自分のダメっぷりを確認することもできるようになった。1か月前、私は前進するつもりでやったことがダメになって、後退してしまった。一歩進もうとして、躓いて二歩ぐらい下がった気分である。それでもすぐ取り戻したくて1か月間、できるだけ気晴らししようともがいた。上記の通り、全部空回ったわけだけど。空回ったけど、今回はもがいたことによって回復を早くできたような気もする。とりあえずこの1か月間はマイナス2、今はマイナス1くらいまでは回復した気分だ。そして多分しばらくしたらゼロに戻る。そしたらまたどうするのかよーく考えながら行動しようと思う。また躓いて後退することだけは避けたい。とはいえ、私にはそんなに時間はないと思う。急がなきゃ、というわけではないけど、のんびりしている時間はない。人間、生きているだけでいいわけがない。

  

 私は''幸せ''という感覚がよくわからなくなってしまった。確かに幼い頃、母と一緒にいた時間は幸せだった。でもそれ以降はよくわからない。年をとって感動が減ったこと、不安が増えたこと、常に体のどこかが不調なことが要因だと思う。それから、だいたいマイナスからゼロの間をうろついていることも。ゼロが1になれば幸せ、とは思えなくとも少しは生きる気力も湧いてくる気がする。すごく抽象的な話になってしまったけど。抽象的にしか捉えなれないからゼロを1にするのはすごく難しい。ただ、幸いなことにも、不幸なことにも、今私にはこんなことをグダグダと考えられるくらいに割と自由な時間と選択肢がある。

 

 幸せという感覚はよくわからなくなったけど、母が言っていた「寝ている時間が幸せ」というのが「無であることが良い」ということならその意味が分かる。分かってしまうから、死にたいという気持ちに囚われてしまうことが多々ある。死後の世界なんて99%ないと思っているくせに、そういう時だけ都合よく母と同じところへ行きたいと思うのだ。それと同時に、母と同じ轍を踏みたくないんだという気持ちも持っている。いつもその二つの気持ちの間をゆらゆらとしている。でももうこんな二つの気持ちの中だけに閉じ込められるのは飽きた。どこかに隙があるのなら、早くどこかへ飛び出したい。

 

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 ということで、私はいつでも飛び出せるように、筋トレを再開するのだ!!